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2019. 04. 15  
<背景>
国際援助の傾向として、有償資金協力から無償資金協力や技術支援に、国が援助プロジェクトを決定することから、国際機関やNGO等が実施するプロジェクトに資金を提供する潮流がある。

有償資金協力の問題点には、債務の罠がある。債務が返済できない後発国の権益が差し押さえられるなど、経済面で不利益を被り、経済的自立が遅れる問題が発生している。

そこで国際支援は、有償資金協力の債権放棄を含む無償資金協力に舵をきってきた。 (国益に援助が左右されてきたという歴史もあり、2国間で有償資金協力を行うのではなく、国際機関への資本拠出や貸出による多国間援助への流れができている。)

先進国の潜在成長率の低下と高齢化などを要因とする社会保障費の増大にしたがって、政府財政が悪化していることから、国際援助額の増額を、自国内で承認を受けることが困難になりつつあることが、無償資金協力を中心とした援助の在り方の問題点として挙げられる。
(「他国に援助する前に、自国内の貧困や衛生・文教環境の改善を行うべし」という声にも耳を傾けなければならない)

一方で、歴史的に見て世界的な低金利時代と言われており、援助国で「金(かね)があふれている」状態となっており、有効な使い手を待っている状態となっている。

そこで、返済が見込めなくなった時に費用が帳簿上に計上される有償資金協力(ODA)を利用することで、国際的な経済力の底上げをする方法を考える。従来の有償資金協力が、緩やかな条件の貸付と謳われながら、返済が滞ることがあった。

援助される側にも確かに問題があったかもしれないが、援助する方にも問題があったのではないかと考えて、今後の国際援助のあり方を議論していくべきである。

〈有償資金援助に用いることができるオプション条項〉
1、金利支援援助 

有償資金協力で問題になるのが、返済が長期に渡るため、金利負担が大きいことである。

100億円を50年間で元利均等で返済した場合、50年間の返済総額は、金利(固定)が2%で158億円、3%で193億となる。 無利子なら毎年2億円を50年間支払うだけでいいのに、毎年金利だけで、2%なら1億円、3%なら2億円支払っているのである。元金均等という初期に多く返済するプランにしておきましょうと言われるが、収益化や経済成長の恩恵を受けていないため、返済負担が大きくなる。

国際開発協会 (IDA) は、最貧国の政府に無利子の融資を行っている。しかし、それ以上の所得国でも国際的な数値目標を達成していない、生存権に関する問題に対して、最低限の衣食住に関係するインフラに対しても、無利子(超低金利)融資の拡大を図ることで、貧困の抑制を意欲的に求めていくべきである。

国際援助機関や二国間の借款も営利ではないのだから、援助にふさわしくべく、無利子に近くなるように抑制していく方針を掲げるべきである。

後発国の経済力が大きくなることは、援助国にとっても経済的恩恵があるのだから、援助国内の滞留資金を国際援助資金に活用できないものだろうか。

援助額を確保するにあたり、国債を発行するならば、援助国は国債の金利は負担する必要はある。 しかし、数十年後に元本が返済されれば帳簿上は何も損失は発生していない。

先進国で、国富が増え続けるが、財政支出が困難な状況で、貸与型の有償資金協力は、経済援助額を確保するのに有効な手段かもしれない。

日本政府の有償資金協力の平均貸出金利は0.35%(2015年度)であり、評価はできるのではないか。

「1兆円援助」と見出しが出ると、大きな負担に見えるが、援助ではなく貸出など実態に見合った用語に変換すべきではないか。

GDPの550兆円の日本にとっては、 1兆円を他国や国際機関に貸し付けてもGDPの0.18%にならない。


2.デリバティブ費用支援

援助の返済の多くが、援助国か米ドルの、通貨建てとなるため、為替変動により返済額が現地通貨建てで2倍になったりする。(現地通貨が50%下落することは、外貨建ての返済額が2倍になる。)後発国のデフォルトになる大きな要因となってきた。

為替や金利のデリバティブ関連の費用を、援助国が負担することも、債務の罠を恐れている後発国の警戒を解くことに役に立つかもしれない。

為替が大幅に変動した場合に、返済金額や期間を自動的に伸縮させる条項を取り入れることも一案である。

有償資金協力と、スワップ取引などの金融費用を負担する無償資金協力を組み合わせることで、経済支援額は拡大するのではないかと考えられる。


3.元利返済据置き期間付き有償資金協力

有償資金協力の経済効果が発揮されて、収益が現れたり、返済に向けて財政にゆとりが現れるまでに時間がかかる。

そこで資金の貸付から返済までの猶予期間を設けることがあり、据置き期間と呼ばれる。

主にインフラ建設に対する借款に適応してきたものだと考えられるが、奨学金など人材育成などの支援にも同様のスキームが使用可能であると考えられる。


4.プロジェクト保険の提供、保険料の負担

貿易やインフラ建設では、一般的であるが、保健衛生分野や教育・人材育成にもプロジェクト保険を導入することも可能である。

途上国に人材育成(義務教育)に対する資金援助する場合、貸与型奨学金給付組織に資金を拠出して、学生の返済が滞った場合に、債務を保証する保険を提供する。 (有償資金援助の場合、後発国は援助国に金利をつけて返済する必要はある。)

返済の必要がない給付型奨学金では、100万人にしか提供できなくても、単に貸し倒れ率を3割と見積もれば、貸出型奨学金では333万人に給付できる。

貧困の連鎖を一刻でも早く効果的に防ぐために、資金に余裕があるならば、貸与型奨学金も選択肢にいれるべきだ。
効果的なものには、無償でなくても、負担できる範囲で、お金を支払うはずである。

この貸出型奨学金プロジェクトに対して、保険を無償で提供する。つまり、貸倒れ金額を奨学金貸与組織に補償することで、後発国の返済負担も減るし、援助国にとっても無償資金協力に比べて負担が軽減されるのである。

ユネスコのEFA・グローバル・モニタリング・レポートによると、2030年までにすべての人が、就学前教育から中学校まで行けるようになるには、220億米ドルが必要とされている。(出展:公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン )

問題解決策の提示から、資金提供まで迅速かつ、スムーズに行っていく必要がある。


近年はNGOや財団法人の資金が、政府の援助額を凌ぐこともある。政府は、資金を出す役割よりも、プロジェクトの確実性を保証する役割を求められると予想される。

2011年にビル&メリンダ・ゲイツ財団が、パキスタンでのポリオの予防接種事業において、日本政府と交わした「ローンコンバージョン」という仕組みは、事業が成功すればパキスタン政府ではなく、ゲイツ財団が日本政府に資金を返済するというものであった。つまり、財団が、政府の代わりに、費用を負担する仕組みであった。

逆に、財団が事業に資金を提供して、事業に成功すれば、国際機関や国が資金を返済する仕組みも、よいアイデアだと思う。

政府は、プロジェクトの確実性を判断したり、確実性を担保することに徹して、成果に基づく効率的な支援活動を広げていくことも、国際援助には必要になっている。



<おわりに >

国連で採択された2030年までの達成目標であるSDGsの実現に向けて、国だけでなく、企業経営にも大きな影響を与えている。

SDGsは、多様な分野の目標を設定している。最初に挙げられているのが、貧困や飢饉などの問題に対して、包括的かつ持続的な解決を行うことである。

「極度の貧困」や「食料がない」なんてことが、なぜ今の世界で起こり続けるのか。
援助額を増額しますといっても援助される側の要望がないならば、今までのやり方を考える必要がある。
援助の方法を、援助される側の立場になって、解決していくしかないのではないか。

本稿は実際の円借款手法を参考にテクニカルなことを列挙している。
資金援助には様々な金融手法を用いることが可能である。
世界的に金利が低下しているため、費用対効果が十分見込まれる場合、従来よりも返済は容易になっている。有償資金協力でも様々な条項を取り入れることで、「援助の効果に対して返済を行う」という、経済の基本原則を守ることができるはずである。
援助方法も、被援助国に寄り添う形になれば、支援額は増えるのではないだろうか。

お金を有効に使いたいと思う人は多いが、敵に塩を送ったり、モラルのない人に自分が築いてきた財産を委ねたり、恩を仇で返されるようなことは非常に嫌うものである。
援助される側も、誰がトップであったとしても、生活環境が改善された時の国民の喜ぶ顔を思い浮かべて、国際的な信頼を積み重ねることが必要である。

「貧困をなくす」、「すべての人に教育を受けさせる」、「基本的インフラにアクセスできるようにする」など人類が抱える課題を、援助される側と援助する側が真剣に話し合わないといけない。
その想いが共有できたときに、夢は実現に向けて、一気に大きく動き出すのであろう。


Billy Joel - Piano Man (with lyrics) 2019/5/1動画追加


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2019. 03. 06  
〈ジャパニーズマーク〉

日本製品が維持してきた高い品質イメージを維持向上するために、認定された商標、日本製品などにジャパニーズマークを付与する。

ジャパニーズマークは、海外にも商標を登録を広く行い、日本企業の積極的な海外展開の支援を行う。

類似の商標や、商品を展開する海外企業、製品に対抗する。


〈ジャパニーズ・マーク付与条件〉

以下のいずれかの条件を満たし、審査機関が認定を行うこと。

・日本に主な拠点があり、日本企業として認知度が高いこと。

・日本国内で製造されていること。

・意匠、商標、ビジネスモデル、伝統技術が、日本発祥であること。


〈他国事例〉
自国製品に独自のマークを付与することを認めている国がある。

☆スイスには、法律により、スイスメイドの表記が制限されており、スイス製の表記とスイスの国旗(スイスマーク)を描くには、条件を満たす必要がある。

スイス・メイド・マーク付与条件
・スイス国内で製造されていること。
・原材料の一定割合がスイスで製造されていること。

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転載 wikipedia

参考URL
swiss info ch(製品に用いるスイス・メイドのラベル、使用条件が厳格化)
https://www.swissinfo.ch/jpn/multimedia/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E8%A3%BD%E3%81%A8%E3%81%AF-_%E8%A3%BD%E5%93%81%E3%81%AB%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%AB-%E4%BD%BF%E7%94%A8%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E3%81%8C%E5%8E%B3%E6%A0%BC%E5%8C%96/42799392

スイス時計協会(時計産業におけるSwiss made表記を強化する基準)
http://www.fhs.jp/jpn/strengthening.html

☆ペルー
詳細は不明だが、メイドインペルーの商品にはナスカの地上絵をモチーフにしたマークを載せることができるようである。

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筆者のペルー土産


〈模倣される日本のビジネスモデル〉

2000店舗以上世界で展開する日本風雑貨店、名創優品。
登記上の日本企業で、商品にも日本の住所を記載しているが、運営実態は中国企業といって差し支えない。

220px-MINISO_Life_Wasedabranch,_Tokyo2015
転載 wikipedia

参考 メイソウ(名創優品/MINISO)って日本・中国企業どっち?評判もレビュー!
https://petit-plus.net/miniso-japan-vancouver/


〈おわりに〉
同じモノで、同じ価格帯なら多少高くても、地元製品や商品を購入する。こんな時代が改めて見直される時代が来るであろう。
地元の商品を使うことで、地域に経済効果が波及して、雇用が増え、所得が増えることが期待できる。
また、悪い商品を売りつけたり、アフターフォローが悪いと、地域で生き残れないので、品質が高まることが期待できる。

日本人は、高い品質を武器にした日本製品を信頼して、高いロイヤルティを示してきた。
中小企業が多かった時代は、中小企業同士の信頼や互恵の関係が、ロイヤルティの大きな役割を果たしてきた。
しかし、グローバル競争の激化で、日本経済の囲い込みの枠の多くは解体されてきたといっていい。旧財閥の流れを汲む企業群の枠なども一昔前の話になりつつある。
日本製品が、海外製品と大きな差がついてしまった分野も多い。日本で販売されるスマートフォンの半分以上が、海外メーカーであり、数年前には考えられないことであった。海外のスマホ市場でも、日本メーカーは上位10位にも入っていない。

日本が、グローバル競争で行っていくべきことは、生産性向上による低価格化の実現であることはもちろんであるが、日本は人件費などの資本コストが大きく、小規模、旧型の産業では難しい部分も大きい。

国際的に個人所得は増加していることは明白なので、「ただ使うことができればよいから、より高付加価値・高品質なもの」を海外の人々から求められることは確実である。

我々は、彼らに、日本品質の商品を提供する機会を多く、提供する必要がある。
グローバル競争による価格競争に疲弊している場合ではない。
いま、守るべき日本ブランドを守っていれば、国際的には過剰品質と評価されているものでも、明日には世界標準になる可能性があるのである。

日本メーカーの車やバイクは、特に東南アジアなどで高い信頼を寄せられている。
国際競争の中でも、決して見失ってはいけない部分を妥協すると、日本製品は何の特色もない製品になってしまう。

ジャパニーズマークのような制度が、我々の人生の先輩が守ってきた日本品質というブランドイメージを、守ることにつながれば、うれしいことである。
そして、その財産を我々と後輩が、海外の人と協力して、より良いものを、世界で一番良いものを作り上げるためにうまく利用していくべきだと私は思う。

The Carpenters- Top Of The World(HD/HQ)

2019. 02. 18  
<ヒューマニティの経済モデル>

表向きには報酬を求めない経済行動である「ヒューマニティ」であるが、期待値が低い経済報酬があると仮定してヒューマニティの経済行動をモデル化することが可能であると私は考えている。
経済報酬は、単に金銭に換算価値できるものと限らないことが、ヒューマニティの特徴である。
勲章などの代替物が報酬であり、自他の欲求が満たされることが報酬なのである。
また人によってその報酬の価値が大きく変わるため、価値の計測が難しいことも特徴である。


〈ヒューマニティと経済学的な相対性〉
これまでの授業で扱ってきた経済学では、基本的に金銭と、財やサービスを交換する。

対して、ヒューマニティの報酬は、金銭に換算することが困難な物や、人によって金銭価値が著しく変化する物が、金銭と取引されたとみなすことによって、その時の、その人の実質的な価値、つまり相対的な価値が決定されるのである。


「ヒューマニティ」の相対性を説明するために、具体的な事例で検討してみる。

寄付を行っていれば、勲章がもらえる都市があったとする。名誉のために勲章を欲しいと考えている企業経営者のAさんは、この都市に、寄付を毎年行っている。ただし、いくら寄付をすれば、勲章をもらえるという決まりはない。

都市側にとってみれば、勲章の授与には、金額だけでなく、人数も勘案するであろう。みんなが勲章を持っていれば希少性がなくなり、有難みがなくなるからである。
都市側が希望の数量のみ取引を成立させること、つまり勲章を授与することで、実質的に勲章の価値は上下することになる。
Aさんは勲章をもらえる金額がわからないまま、寄付を続けるが、ある年は1億円で勲章がもらえて、ある年は5000万円で勲章がもらえることが起こりえるのである。
その金額が、事後的にわかるAさんの勲章の実質的価値である。2年間で算出される期待値は7500万円である。


これまでの経済学が、「絶対評価」で財やサービスを主に評価していたことに対して、相対性を対象とした経済学では「相対評価」で実質的な価値が決まるのである。


〈経済学における相対性のまとめ〉

”アインシュタインが「相対性理論」を検証するにあたり、「ここから導き出される結論の一つでも誤っていることが証明されれば、私はすべてをあきらめなければならない」と述べた。科学的理論が無効であることを示すには、たった一つの反証を挙げればよいのである。経済学は立証責任が低い。 ”とティリングハスト氏は述べている。

ジョエル・ティリングハスト 「ティリングハストの株式投資の原則」p133-134 一部編


経済学は、全ての人を対象とした経済行動様式を説明してしまうような、神羅万象を司る公式が見つかっていない学問といえる。
人間の価値観や行動様式は、多種多様であり、極端な仮定が存在しなければ、人の意見が100%一致して行動に結びつくことは困難である。その多様性が、生命存続にも役立ってきたのであろう。


経済学での相対性の概念を以下にまとめてみた。

同じ時に、同じ物であれば、絶対的に価格が決まっている一物一価の法則に対して、同じものでも価格に差異が生じていることを、経済学的な相対性があるという。

「3種の相対性」

1、「時間による相対性」
同じ物でも時間の変化によって価値が変化すること。

2、「空間による相対性」
裁定が働かない閉鎖市場や相対取引により、同じ時点において、同じ物の価格が2つ以上発生していること。
基本的に経済学では、空間とは、時を同じくとしていて、対象となる立場や場所に存在している人全員をひっくるめたものであると想定している。 (もっと良い説明の仕方がありそうだが、思い浮かばない)

3、「時空による相対性」
同じ物でも、時と空間が違う時に、生じている価値の違いのこと。


〈経済学における相対性の可能性〉

経済学の授業では、自由経済で効用を最大化するモデルを考えてきた。社会的厚生が最大に近づけるように、社会政策にも実際大きく寄与してきた。
しかし、現実の世界は、差別化戦略のように、コモディティ化を避けて、完全競争市場への参入を売り手は避ける傾向がある。

ミクロレベルの経済活動の一部をノイズとするのではなく、現実を相対性があると評価して、仮定や条件などで縛られた経済モデルでは捕捉しきれない経済活動を含めて、マクロ的視点で経済を評価していく必要があるのではないか。

マクロ経済において、ランダム論、あるいは確率論的に意思決定が変化していく様子を、相対性の概念で説明していくことが可能になるのではないか。
ビックデータなどの活用によって巨大なデータを分析できるようになり、すべての経済活動を可視することができるようになった時に、何らかの法則、習性に従って行動するグループ群が、まとめてどう行動するのか。相対性の概念を持っていた方が、現実の説明を行いやすいのではないか。

経済は思ったよりも複雑で難しい。相田みつをならばこう言ってくれるかもしれない。
「違ったって いいじゃない 人間だもの」


〈おわりに〉

経済学の論争は、時に取り返しのつかない血の争いを引き起こしてしまう。
資本主義と共産主義が対立した東西冷戦は1990年初頭にソ連が崩壊して、大きく緊張が緩和された。
しかし、それまでに、多くの犠牲があった。
1950年代に起こった朝鮮戦争は400万~500万人の死者を出した言われている。
1960年代から70年代かけて起こったベトナム戦争は、200万人~400万人の死者を出したと言われている。
近代経済学とマルクス経済学の学術的な対立が、権力闘争となる遠因になってしまったのならば、歴史的不幸であった。
100年も200年も前に、経済学者たちが、理不尽や貧困に苦しむ人たちを見て、もっと多くの人が、豊かに、幸せに暮らせる方法を考えた結果だとしたら。


私たちは今、経済戦争の真っ只中にいる。
私たちは、自分にあった優れたものを求めることができる。
私たちはアメリカメーカーの車も買うこともできるし、中国メーカーの車を買うこともできる。
あなたが中国人で、憧れという理由でアメリカメーカーの車を買っても、中国国家から市民権を剥奪されることもないし、公務員の職を追われることもないであろう。
あなたがアメリカ人で、安いという理由で中国メーカーの車を買っても、アメリカの公権力により、盗聴器を仕掛けられたり、行動を監視されることもないであろう。

国家間の意見の対立により、戦争を強いられた市民や犠牲となった民間人の痛みを、我々は強く心に刻んできたはずである。
我々は、国家の意向に沿わないという理由だけで、基本的権利を制限されることはあってはならない。
我々は、国家間の争いに関わりたくなければ、関わりたくないと言えるし、経済戦争の公平な競争の恩恵だけを受ける権利を有するのである。

人間が合理的でも、非合理的でも、完全に証明できないのであれば、経済学者たちは、相手が間違っていると言い争うだけでなく、何をすべきか考えるべきである。


全ての人が、恐怖に怯えることなく、生まれもった基本的権利を自由に行使できる。

そのことが、「経済人(homo economicus)」として、必要最低限の仮定なのだから。



Let it be- The Beatles (LYRICS/LETRA) [Original]


2019. 01. 17  
〈経済学上のヒューマニティの考察〉

前稿で「ヒューマニティ」という概念を取り上げた。いくらか補足するために、箇条書きでまとめてみた。

☆ヒューマニティの特徴
・自分の利益を犠牲にしてでも、利他的な経済行動を行うことである。

・非合理なように見えて、社会全体の利益は増えることもある。

・「経済人」の概念に対極する。
経済人:自分の利益を最大化するように、経済合理的な行動を取る人間、もしくはその行動モデル。

・非連続的で不確定事象に対して、損害を恐れずに決断をすることができるので、機会損失が減少する。
(⇔プロスペクト理論:人は利益を得られる場面ではリスクを回避をして、損失を被る場合は損失を回避すること。)

・「ギャンブラーの誤謬」に対極して、自己実現欲求などにより、合理的確率に基づかずに、必ず損失を被ると誰もが思っていても、決断を下すことができる。また、人々の共感を呼ぶことで、利益を得る確率が高まる可能性がある。
ギャンブラーの誤謬:特に根拠がないにも関わらず、合理的確率に基づいた予測ができなくなること。

☆なぜ人は「ヒューマニティ」という行動を行うのか。

①自分では実現できないものを、他者への共感により実現するため。
例:クラウドファンディング
②全体的な社会的利益を確保するため。期待値が低い保険的リターンが潜在的にあるため。
例:福祉施設への寄付、シェルターの用地提供。
③自己実現 社会への不平不満や改善したいという自己欲求を満たすため。
例:NGO設立
④共存共栄、相互扶助などの支えあい、助け合いため。
例:育児、親族の介護
⑤自己実現に似ているが、プライスレスな代替物(報酬)を得るため
例:勲章をもらうために寄付をする。 採用に有利なようにボランティア活動に参加する。 

〈ヒューマニティの可能性〉
私は、ヒューマニティは、見返りのない、完全に無償の行為ではないと仮定すると、
ヒューマニティの不合理性を経済分析可能と考えている。
寄付がムダと言ってしまうような経済モデルは、違和感がある。
経済学では、ヒューマニティという概念は必要不可欠だと私は考えている。

〈エピローグ〉
日本には、「鶴の恩返し」という童話がある。
忘れた方のためにあらすじを紹介しておく。

おじいさんとおばあさんが2人仲良く暮らしていた。
ある日、おじいさんが罠にかかった鶴を助けた。

そしてある夜に、若い娘が家に住まわせて欲しいとやって来た。
娘は家の仕事を色々手伝ってくれるが、娘が布を織ると言って、部屋に籠もって、夜(よ)な夜(よ)な布を織り続けた。


完成した布は大層美しいので、高く売れて、彼らの生活は楽になったという。
ただ、おじいさんとおばあさんには、気になることがあった。
娘は布を織っている時は、「決して覗いてはいけない」と言う。
布を織れば織るほど、裕福になるが、娘は痩せ細るのであった。

そしてついに、おじいさんとおばあさんは、興味本位か、居たたまれなくなったのか、娘との約束を破って、機を織る娘の部屋を開けてしまうのであった。

するとそこには、あの日助けた鶴がいて、自分の羽を引き抜いて、布を織る姿があった。
娘は、「さようなら」といって、おじいさんとおばあさんの元から去ったという話である。

「ヒューマニティ」という概念は、経済的な見返りを表向きに求めない行動である。
「鶴の恩返し」という童話は、困っている者を助けたら、良いことが返ってくるという寓話である。
まさに「ヒューマニティ」を勧めることにぴったりな童話である。

この寓話にはもうひとつ教訓が隠されていると考えられていて、「部屋を見ないで」と娘が言ったにも関わらず、部屋を見てしまったおじいさんとおばあさんの愚かさを描いているとも言われている。
せっかく手にした幸せも大切にしないと、すぐに失ってしまうという刹那的な教訓である。
(私には娘が死んでしまう前に、部屋を見たという判断は適切であったと、冷静に見てしまうが…)



あなたが思う人生の成功者はごく一部かもしれない。
しかし、生きているだけでも幸運と考えれば、地球に生きている全ての者が、成功者である。
そう考えると、誰でも「ヒューマニティ」のある行動を積極的に行うことができるのではないか。

戦乱や貧困で、隣近所、親戚と助け合う経験を得ることが少なくなると、困っている人を見かけたら助けるという行動もなくなってきたかもしれない。

いま書いていることは綺麗ごとかもしれないが、無報酬に育児や介護を行うことが、当たり前な世の中でいいのか。もし、そのことで、現実に貧困が起こっているならば、何か経済的動機や報酬があってしかるべきではないか。

「ヒューマニティ」を称え、報い、報われる社会の形成がいまこそ必要ではないか。そのことで、経済的誘引だけでは生じてしまう、格差や不平等といった社会的問題の解決につながるのではないかと、私は強く期待している。

(エピローグ追加 2019年2月16日)

〈最後に〉

「目的も夢もあやふやな暮らしだった
親のスネをかじりながら時間だけあった」

B'zの「さよならなんかは言わせない」の一節が、僕のお気に入りだ。
ボクの青春を思い出すとそうだった。
冴(さ)えなかった。

学校には行っていたが、夏休みになると、家に居たくなくて。
行先も決めず、自転車で意味もなく、30km~40kmもこぎ続けた 。

可能性は無限にあったはずなのに、何もできず、苦しんでいた。
変わらなきゃと思いながら、また日が暮れる。


もしもまた、自分の無力感に気づくことがあれば。
他人(ひと)を大切にしたいんだ。

自分を大事にしなきゃいけないと、教えてくれた。
夢や希望や未来を、教えてくれた。

孤独や寂しさなんてものに共感はいらないかな。
自分で体や心を壊そうとするなんて、もったいないと気づいて欲しくて。

雨が降った後に虹が架かるような。
ささやかな歓びを、大切にして、
またゆっくり歩き出そうよ。


青春に見た、あの映画。
主人公はカッコいい。
ボクは今でも、あんな風になりたい。

ボクという物語のヒーローは、 坂道を下っていく列車のようで。
根拠はあるけど、正解という自信はない。
頼りないレールを転がっていく。

否定も肯定もされず、
自分という存在を見失いそうになる。
他人(ひと)が嘲笑(わら)ってくれることで、
自分がまだ進んでいることに気づく。

暗闇の中、優しく灯るロウソク。
いつか夜が明けると、最高の景色が広がっていて。
ボクは君に「ありがとう」って、言えるのかな。


SEKAI NO OWARI「サザンカ」


SEKAI NO OWARI「サザンカ」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ

2018. 12. 28  
〈要約〉

金融市場でのパニック状態における金融資産の価値算定方法が不足している。

一定期間のファンダメンタルデータを用いて統計的に株価を分析することを複合分析と呼んだ。

自分の損失を省みない利他的な経済的動機をアニマルスピリットに対してヒューマニティと名付けた。



〈プロローグ〉

金融市場には、恐怖と不安に包まれる時がある。

不確実性が増して、株価のファンダメンタル分析では予想できない瞬間がある。

テクニカル分析では、売りのサインだから、売ってしまったほうがいい…


〈テクニカル分析とファンダメンタル分析を融合させた複合分析〉

株価は遅かれ、早かれ、予想利益に収束するものである。

ただ未来の収益は不確定なため、市場参加者は様々な指標を使って、株価予想を行い、現在の株価が形成される。

テクニカル分析は、株価の推移や売買の出来高などを統計分析して、株価の売買を行うものである。

ファンダメンタル分析とは、企業業績や資産が、株価にどれほど反映されているかを分析するものである。


それぞれが、長所と短所があるであろう。

将来の業績予想が不透明になり、ファンダメンタル分析ができない時にでも、テクニカル分析では、売られすぎ、買われすぎといったシグナルが出現して、売買を行うことが可能となる。

ファンダメンタル分析では、1株あたりの簿価や利益との現状の株価の差異で割安、割高を判断して株を売買する。

ファンダメンタル分析では、統計学的な視点で、株価推移を見ることは少ない。

しかし、株価が予想利益に最終的に収束すると仮定すると、統計的視点は必要不可欠である。

たとえば、為替が1円円高に動くと10%利益が増える会社があるとする。株価が予想利益に最終的に収束するので、 1円円高になれば、株価は10%上昇する余地がある。
ただ株価は、織り込み済みといった言葉があるように、すでに株価が5%上がっていれば、残りは5%の上昇余地しかない。
あと、何%株価の上昇余地があるのかを、 「ファンダメンタルのデータを用いて統計的に試算する」のが、複合分析である。

長期間には、利益を伸ばしてきた会社が、短期的に50%の減益を記録したときに、株価は50%下がることが適切であろうか?
適切な株価水準があるのではないか。

複合分析には、株価の適正範囲を統計的に導き出すことができる可能性がある。

シラーPERと知られる10年平均株価収益率は、ファンダメンタル分析とテクニカル分析を融合させた複合分析の一例である。

複合分析は、利益や簿価などのファンダメンタル指標が動いたときに、売買を行うものと言える。



〈複合分析の可能性〉

複合分析の利用可能性として、過度な短期利益や短期損失で、ファンダメンタル分析の指標が適正な株価水準を見失う時に、長期利益予想線は、株価をサポートできる可能性がある。

長期利益予想線は、長期のファンダメンタルデータと予想利益を求める式に様々な変数を入れて全微分することで、導くことができると考えている。


市場全体で株価が予想利益の何倍であるかは、マクロ的な経済指標の影響を受ける。インフレ率や金利などが代表的である。

適正株価は、マクロ経済の指標にも補正されるであろうが、 好景気から不景気になると、マクロ経済の変動だけで、適正株価が大きく下がることになり、景気循環の変動が大きくなる要因になる。複合分析では、マクロ経済指標も長期的なデータを使用することが望ましいであろう。

テクニカル分析線と複合分析線を分析することで、過度な株価の乱高下が明確になり、新たな売買シグナルが発見される可能性がある。短期的で、パニック的な株価のボラティリティ、変動を抑えることに繋がる可能性がある。

市場がパニックになった時に、少しでも冷静に、取引が成立すれば、不景気や恐慌のショックが、低減されるのではないかと期待している。


〈アニマルスピリットとヒューマニティ〉

複合分析では適正株価水準は算出できるが、株を持ち続けることが正しいのかは、株を売買する人の考えに最終的に依存する。

例えば、会社が倒産するというニュースがあった場合に、紙切れ同然の株価で売却する人もいれば、倒産を免れた時に暴落した株価が2〜3倍でもなる方にかけて、株を持ち続ける人もいる。

アニマルスピリットと呼ばれかねない、一見不合理ともなり得る行動で、市場の価格は形成される。

アニマルスピリットと対極する概念として「ヒューマニティ(humanity)」が挙げられる。
ヒューマニティとは、一見不合理ともなり得る行動でも、その行動に、他人の利益を慮る動機がある行動である。

明日がどうなるかわからない時に、自分は損をしてもいいから、「私は誰かのためにこうしたい!」と危険な道を選び、周囲の人から「こういう人こそ報われるべき」と思われる人の行動を、アニマルスピリットと表現してよいのか、ヒューマニティと表現すべきではないのかと思う。


災害が起こって、株価が暴落した企業に、復興の願いをこめて、投資する人。
株価分析など必要としていない。


人間だって合理的ではない時がある。

それは、自己を犠牲にしても、誰かのために行動することで、全体的な経済的利益を最大にすることができると無意識に計算されているからかもしれない。

それが人間らしさ(ヒューマニティ)の根源ではないか。

誰も引き受けない仕事を誰かが引き受ける。

ヒューマニティのある引受け手が現れることが、心豊かな社会の形成に重要である。

その人が公正に評価される社会も、合理的な経済が形成される上で、重要である。




〈エピローグ〉

国破山河在(国破れて山河あり)

杜甫の有名な漢詩の一節である。日本人の無常観とも、相成れていて、印象的に残っている。



もしいま、「巨大な隕石が落ちて、目の前が、一面焼き野原になった」とすれば。

電気・水道などのライフラインは使えなくなる。

怪我をしても、治療する薬もなく、設備もない。

畑は焼き果てて、食料も底尽きるのも目に見える。

弱者は真っ先に、命絶える。

未来の不安と、暗闇が支配する世界を人々は生きていく。

その世界の中で、人々が最後まで、理性的に生きた証を残していくにはどうすればよいのか、 私は悩む。

明日世界が終わるならば、自分さえよければよいという行動にもなるだろう。

自分に不都合なことが、死に直結するのだから仕方ない。

意見の対立もあるが、けんかをする気力も失い、動けなくなった人々。

失いたくないものをたくさん失って、さらに失うものを自分で選択しなければならない。

極限の状況で、耐えて耐えて、その時にある人が言う。

「自分はこうありたい!」

人間の底深い部分に存在するものがにじみ出てきたような「最後の人間性(humanity)」。

純粋で、感情的であり、一瞬で世界が明るく照らされるような一言。




この一言で、人々、生命は、ひとつになり、動き出す。



そして世界は救われるのである。



(終わり)
2018. 03. 23  
〈脱ガソリン車に時代は動き出そうとしている〉
中国は、中国市場での電気自動車(EV)など新エネルギー車(新エネ車)の割合を2025年までに20%にする目標を立てている。〈1〉
ドイツでは昨年、連邦議会で2030年までにガソリン車など内燃機関エンジンを禁止する決議案を採択すると、ノルウェーとオランダが2025年から、インドが2030年から同様のプランを法制化しており、フランスとイギリスが2040年から内燃エンジン車の販売禁止を表明している。〈2〉

日本は、世界最大級の自動車生産国であるが、ガソリン車を主要に生産している。
かつては世界で競争力の高かった日本の電機メーカーであったが、中国や韓国などの近隣国との競争で、競争力が低下している。
日本の自動車メーカーの国際競争力は強いといっても過言ではない。しかし、世界の自動車が、電動化になったときに、日本の自動車メーカーの国際競争力が維持できるかは疑問である。
充電施設などがなく、電気自動車が普及していない日本のメーカーが、充電施設を国費をかけて普及させた国と、対等に電気自動車部門で競争できるであろうか。

〈1〉「月刊ビジネスアイ エネコ」2017年12月号からの転載)http://ieei.or.jp/2017/12/yamamoto-blog171220/
〈2〉https://getnavi.jp/vehicles/185333/

〈日本は軽自動車の100%電動化を〉
私の主張は、軽自動車の電動化を100%義務付けることを提案したい。
軽自動車は日本の自動車販売台数の3割~4割を占めるが日本独自の規格である。日本は一人あたりでは世界の20位程度の高所得国なのに、税金などの維持費が安いという理由で、小さい車に乗ることを国が推奨しているようなものである。軽自動車は小回りが利いて乗りやすいし、1~2人ならば軽自動車でもぜんぜん悪くないと思う。
しかし、個人的には、燃費がよく、衝突安全性の高い車に乗ることを国には推奨してほしい。
環境性能などを鑑みて、ガソリンで動く軽自動車は小型車と税体系などを同一化していくべきであろう。

電動化にあたり、テスラモーターのように、日本の自動車メーカーが高級路線に変更することも、考えないといけない。しかし、日本という国は大衆が購入できる品質のよい車を作ってきた。
日本国内で電動車が普及することに尽力して、新興国の人でも買えるモデルの車を作っていくことが日本の逃げられない運命ではないだろうか。
スマートフォンのようにいいものを作っても中国や韓国、台湾メーカーに急速にキャッチアップされても、世界最先端の製品を誰でも買えるようになることに、日本の存在価値や使命感を感じずに入られない。

〈なぜ電気自動車なのか〉

日本が燃料電池車の普及に力を入れているのも理解できるので、こちらを業務車や高級車などに普及をしぼり、電気自動車は比較的安価な車に絞ることにした方がよいであろう。
電気自動車に使用するバッテリーは、原価に占める割合がまだまだ大きく、普及帯価格であっても小型車ならば価格競争力が維持できる可能性がある。
電気自動車の欠点として航続距離の短さが挙げられる。軽自動車ならば、もともと長距離を高速で走ることを主要な目的としていないので、電気自動車のバッテリー性能と相性がよい。


〈電気自動車と排ガス〉
排ガスに関しては経済の負の外部性を計測することは、結果が出なければ無作為と批判することは難しい。
しかし、個人的には排ガスは有害なものであると考えている。少なければ少ないほうがよいと思う。
CO2も直接的には排出しない。こちらも少なければ少ないほどよい。
電気自動車は排ガスを排出しない。何も悩むことはない。最高にクールである。


〈電気自動車とインフラ敷設〉

電気自動車は、航続距離の短さと充電時間の長さから、各家庭や駐車場に充電設備をおく必要がある。普及に大きなハードルとなりえる問題である。
しかし、送電網から電気自動車に充電できる規格にしておけば、すでにある送電網を利用できるので、拡張性が高いと言える。
たとえば、一から送電網を引っ張らなくても、駐車場のライトのコードを分岐させれば、自動車に充電できることになる。
車を購入することが可能な個人が、自宅などに充電設備を敷設する費用を十分に負担できるイメージがつきやすい。
軽自動車を電動化すれば、インフラの敷設数の増加が見込まれて、インフラ敷設の費用も下がることが期待できる。国の負担も少なくて済むのではないか。


〈燃費における電力価格の安価性〉
ガソリンを使う一般車から電気自動車に変えた場合、燃料コストが最大9分の1安くなると言われている。
今のガソリン価格で考えると、1L分の料金で130km走ることができる。ガソリン車の場合の、1Lあたり20kmほどに比較して非常に安価である。〈3〉この計算だと、電気自動車がバッテリー交換せずに10万~15万キロ走るころには、50万円~100万円近い燃料代を削減が可能である。燃費の低さを考えると補助金なしでも電気自動車の方が、ガソリン車より安い時代がほんの数年で来る可能性がある。

電気自動車は燃費がよいと言える。しかも、再生可能エネルギーで発電した電力の卸売価格が下がってきており、海外では今まで一番価格安いと言われていた石炭火力発電を下回るケースが出ている。
再生可能エネルギーが世界で一番安価なエネルギー源となるエネルギー革命が起こることは確実である。
再生可能エネルギーは不安定性が、主要電源になり得ないといわれてきたが、電気自動車の充電池が、電力需要の調整に用いられると、再生可能エネルギーの利用効率高めることに寄与するであろう。

今まで利用価値のなかった土地、海洋や砂漠、山岳で、無限に電気が生まれていく過程なのである。
石油に依存しないことは、資源を自給できていない日本にとって悲願であり、電気自動車の普及は、国富の流出の防止につながり、国策として推進する大きな動機の一つになる。

〈まとめ〉
現在軽自動車は高いものは200万円近くすると言われており、バッテリーの価格下落などを考慮すれば、電気自動車は十分に競争力をもった価格に近い将来になるものと私は確信している。
国民に愛されている軽自動車ではあるが、電動化を推進することは決して悪いことだとは思わない。
インフラの敷設費用も、現在の電力網を拡張して使用することで、費用を抑えることができるであろう。
国際的な動向を考慮すれば、再生可能エネルギーのおかげで、電力価格は下がることになるであろうし、電気自動車は再生可能エネルギー発電の安定剤となるであろう。

「環境によいことが、一番安価である。」
オールドエコノミーでは相反する事態が成り立つ、ニューエコノミー時代の到来を、日本は世界に先駆けて、恩恵を受けられているか。

「変化を楽しもう!」
                                                                     
〈3〉http://www.eurosongspain.com/ev/what.html
2018. 02. 09  

〈国際決済手段の進化の時期〉

私は、卒業論文のテーマは電子マネーになっていたかもしれないくらい、10年前には電子マネーの可能性を信じていた。(2000円札よりも可能性はあったかもしれないが。)
数年で、一枚の電子マネーのカード(あるいは携帯電話)があれば、世界の地下鉄やコンビニで決済が可能になると思っていた。日本の技術が、世界で活用されると信じていた。

しかし、決済の進化のスピードは、通信やIT技術の進化よりも遅い。


「apple pay」などの決済サービスは生まれてきているが、一枚の電子マネーがあれば、世界中で買い物ができる状況にはほど遠い状況である。

仮想通貨は、各国の規制などを吹っ飛ばすものとして、期待している人々が多いのであろう。

私はこれほど仮想通貨が世間の話題に取り上げられるとは思っていなかったが。


〈仮想通貨はITバブルと同じ運命をたどるのか〉

2000年初頭に弾けたITバブルを思い出せば、90年代終盤から00年代初頭にかけて収益を生み出していないIT企業の株価が、うなぎ登りに上がっていた。
しかし、ITバブルが弾けた後も、日本ヤフーやマイクロソフトなどのIT企業は、その後20年間生き続けて、現在の時価総額は数兆~数十兆円にもなっている。2000年頃には、収益を伴わない株価をつけていたとしても、20年後には収益の拡大が追い付いて、現在ではITバブルの時よりも時価総額が増えている企業があるということだ。

仮想通貨の中にも、競争を勝ち抜いて、現在の価格よりも高値がついている仮想通貨も将来的には存在しているかもしれない。

しかし、ITバブルを教訓とすれば、勝ち組が負け組から成果を総取りするくらいに、仮想通貨も多くの人が損する可能性がある。


〈多数の仮想通貨とそれぞれの理念〉

仮想通貨の発行理念が重要になってくる可能性がある。

仮想通貨の鋳造益を普及のための広報費などに充当する通貨もあるようだし、個人の決済手数料は無料にして、法人間取引のみに手数料を徴収する仮想通貨も出現するだろう。
Googleは、広告主の検索結果を上位に表示することを排除して、独自のアルゴリズムにより公平に検索結果を表示させようとしたし、利用者のために無料で地図ソフトの提供も行っている。
中国のアリペイは、中国でクレジットカードの普及が遅れていたこともあり、ウェブ上の信用決済手段として生み出された側面がある。不正使用には、補償することを確約して、信用を徐々に得てきた。近年では決済手数料が安いということで、リアル店舗でも急速に小口決済の使用が増えている。

ビザやマスターカードのように、世界中で機能する決済システムを普及できれば、数十兆円の時価総額がある企業になる。

世界標準となる仮想通貨の初期に投資すれば、莫大なリターンが得られても決しておかしくはない。



〈決済手段としての仮想通貨と為替制度の革命〉

仮想通貨はブロックチェーンと呼ばれるネットワークを利用したシステムを利用する。いわば決済のクラウド化をする。セキュリティを強固にするという条件をつければ、クラウド化すれば、任意のサーバーを使用するので、専用のサーバーを使用するよりも費用は安くなる。


いくら決済手数料が安いとは言っても、価値が日々大きく変動する仮想通貨で決済していては、直感的に利用しにくい。

しかし、為替の変動幅に限りなく近似していけば、仮想通貨で決済するメリットがでてくる可能性がある。為替の変動幅に近似させるには、通貨バスケット制度に近い制度になるだろう。中央銀行同士が巨額の資金を拠出して仮想通貨の価値を裏づけを与えることで、価値の変動は為替変動に限りなく近づく可能性がある。

仮想通貨の決済手数料が限りなくゼロになれば、裁定取引の手数料は限りなくゼロになるので、為替の変動に応じて、仮想通貨の価値も変動するはずである。

野口(2014)によれば、決済中に仮想通貨の価値が上下する問題に対して、オプション取引を利用すればよいと言っている。


一方で、固定為替制度の国は仮想通貨の取引を押さえ込まないと、固定為替制度が崩壊する可能性が高い。国が通貨の価値に著しく介入すれば、仮想通貨を通じた為替取引で、通貨の一方的な売りや買いを仕掛けることができてしまう。野口(2014)によれば、「規制と監視が必要」なのは、仮想通貨ではなく、国の通貨だとまで言及している。


仮想通貨には、中央銀行が参加することが自然なようだが、それまでにベンチャー的な仮想通貨が、決済量の多さから、市場の覇権を得ていてもおかしくない。官僚的なシステムにいらいらしている人々は多く存在しているのだから。


参考文献:野口悠紀雄 「仮想通貨革命」(2014年)


〈終わりに〉



誰もが好戦的な雰囲気の中で、人々の平和な暮らしを祈るってなかなかできないだろう?

力の均衡で動く世界から、

基本的な権利を尊重される神の子が、

基本的な規則に従って生業(なりあ)う世界に。

今日からオリンピックは始まる。



2017. 12. 08  
 
NHKは毎年の受信料収入が6800億円にも上る。(29年予算書より)
日本は、公共放送に維持に莫大な金額がつぎ込まれている。
BS受信世帯の増加による受信料収入の増加や、ネットからも視聴料を徴収しようと検討している。
NHKは増収を図るのが仕事なのではない。
かつての特殊法人のように、NHKは肥大化しているのではないか。天下りなどの構造が起こっていないか。
改めて見直すべき時期に来ていると思う。

通信の分野では、ネット環境の革新的高速化と廉価化が急速進んでおり、ネット回線を使用した放送も、安価で可能になりつつある。放送映像の次世代化の投資に関しても、汎用品でも高画質の映像を取り扱うことが可能であるから、今まで使っていた機器が使用できなくなるような大規模な投資ではなく、将来に渡って拡張的に使用できる放送システム網を構築していくことが肝要である。
民放と比較しても土地はもっと有効活用できるのではないか。郵便局などのテナントの上に放送局を作ってもいいのではないだろうか。土地の資産運用で受信料を下げる努力と、公平さを両立させる工夫はいくらでも可能ではないのか。
 
NHKの強制加入制度について改めるべきところは、改めるために今回の提言を書く。
 
NHKの改革案
 
1、    NHKを報道中心の放送局として再編する。
民放のように視聴率を気にして、相当の製作費をつぎ込む必要があるのか。公共放送であるNHKでしかできない番組の作り方を改めて模索する必要があるのではないか。

2、NHKは、国内だけでなく、世界情勢中心の報道を積極的に行う。
民放やネットでは入手できない特に中東やアフリカ諸国地域の報道を充実を図ることは、国際的な立場で日本の立場を議論していくきっかけになるのではないか。
 
3、エンターテイメント事業は分離する。
分離後も国民の知的欲求を満たす良質の番組を引き続き強化する。スポンサー制度の導入も検討する。
 
4、    BS受信料は大幅値下げ、1チャンネルを報道専門局として、他はエンターテイメントチャンネルとする。
BSの加入料が高すぎる。視聴率も地上波に比べて格段に落ちるBS放送のチャンネルが2~3増えるだけで倍近い受信料を、国民全体に強制的に支払いを求めるのは、国民の理解が得られない。
個人的には地上波契約に月300円増し程度で運営できるのではないか。
BS契約が増えているのは、都市では電波障害などの理由で、ケーブル網でデジタル放送を受信可能となり、BS放送が受信できるようになった側面もあり、強制加入に見合った負担に軽減されるべきである。
5、    スポーツ放映は民放優先の原則で、民業の圧迫と放映権の高騰化を回避する。
大相撲中継・高校野球も、NHKが放映しなければならない理由を再検討すること。
ACLの決勝戦のように、他民放で生中継がない場合は優先的に放映権を購入できるようにすること。
 
6、    地方局では、エンターテイメント部門は、民放から番組の購入を行い、全国放送されている人気番組が、需要に応じて必要に放映されるよう努力する。
地方では放送局の数が少ない場所も存在するので、電波域の有効活用策として検討する。またスポンサー収入による増収を図る。
7、 自・他社問わずネット配信会社などにNHK制作の番組を販売してオンデマンド放送の収益化を試みる。
8、  NHKワールドの質の向上
民放から優良番組の放映権の獲得などの方法により、報道や良質な文化発信だけでなく、海外在住の邦人に娯楽を提供できるようにすること。
  
9、強制的な受信料の徴収は行わない。ただし、他放送局の電波使用料を収益源にすること、NHKのコスト体質の改善、災害時以外の放送のスクランブル化など公平な受信環境の整備と負担軽減に向けて努力を重ねて、負担に対して国民の理解がある場合には限らない。
10、一括受信の促進
マンションやビルなど一棟ごとでの大幅に割安な受信料徴収を促進する。
11、放送局の余剰スペースは、他民放を参考にして、副収入の手段として積極的に活用を可能とする。
2017. 12. 08  

本日より、2017(平成29)年12月8日(金) ~ 12月17日(日)の10日間で神戸ルミナリエが開催されます。寒いですが、ぜひご参加ください。

http://kobe-luminarie.jp/index.html

2017. 02. 22  
(要旨)

主に民法上の係争決着手段として発生する金銭支払いが、確実に履行されるように、その決済において公的機関が仲介関与する。

(問題点)

民法上の損害賠償や慰謝料、養育費請求は、支払い義務を負うのが個人であることがあり、支払いが長期、高額化することで、支払いが滞る事態がしばしば発生している。中には、所得が十分あるのに、法的支払い義務を果たさない場合もあり、責任を負わない人がいる一方で貧困が発生するという社会正義に反する事態となっており、支払いの履行を公的にも支援する必要がある。

金銭的補償を受け取れるはずの法的権利者にもかかわらず、相手方が支払い義務を履行しないために、社会のセーフティネットに捕捉されにくい貧困層が発生していることは、我々が解決しなければならない大きな問題になっている。

(ライフ エスクロー サービス)

 民法上の係争問題決着に際して発生する支払い義務が、確実に行われるように、公的決済仲介機構を設置する。(以下LES : ライフ  エスクロー サービス)

(業務内容)

支払い義務の履行監視

当人と相手の個人情報保護

係争中の支払いが確定するまでの生活費の立替

相手が支払いに困窮した場合、法律や予算措置に基づき立替などのセーフティネットの提供

支払い延滞保険の提供

経済状況などの変化に伴う支払い方法の変更などの相談

財産調査権による取立業務


(LESの活用例)
夫婦が別居離婚調停中における養育費立て替え

相手が経済的に困窮していて養育費の支払いが一定額以下の場合、支払の財政追加
交通死亡事故の被害者が、加害者に損害賠償請求中の生活費の立替

相手が引越などで行方がわからなくなり、支払いが滞った場合に、LESが財産調査権を行使して、銀行口座から強制徴収する。

(おわりに)
人々は経済的に豊かになってくるにつれて、人々の生き方の制限や規制は解放されていき、それぞれの価値観や行動に反映されていくであろう。しかし、最低限の経済的な責任を個々が取るようにしないと、健全な社会は構築できないのではないだろうか。

一方で、今回提唱するLESが、課税徴収のように収入がないのに財産を根こそぎ売却させて徴収するような制度ではなく、支払い能力や支払意思によって、融通が効くような心の入った徴収が可能になるようにと、願わずにはいられない。

「養育費の不払い対策、各国の仕組みは 子どもと貧困」(朝日デジタル2016年3月7日05時04分)は、あまりスポットの当てていなかった部分を取りあげて、養育費支払いの国際比較することにより、日本の取り組みの甘さを訴求している。非常に優秀な記事である。以下に全文を転載している。敬意をもって。


blog.png
(朝日デジタル2016年3月7日05時04分)


プロフィール

ハゲナルド

  • Author:ハゲナルド
  • 2000円札パラダイス管理人の30代男性(2019年4月現在)。
    全紙幣の1%未満の2000円札と出会うって幸運の予感!
    電子マネーと2000円札があれば事足りる社会はすぐそこに!?

    社会的提言を発信しています。社説カテゴリー
    ①限りある資源の有効活用!
    日本は世界有数の高い労働、資本コストだが、既存資産の回転(稼働)率を上昇させることで生産性は向上する。
    ②積極投資による日本経済活性化!
    国内の余剰資金は主に日本国債に流れているが、国は有効な投融資を行い海外の発展(世界総中流化)に貢献することで、国の経済成長につなげるべき。
    ③投機より投資による経済成長を!
    持続可能な経済発展を成し遂げるには価格上昇率(投機)より投資のリターンであるGDPの伸び率を高める(⊿GDP>⊿PRICE)必要がある。
    ④省資源社会実現による世界総中流化実現を!
    世界中流化で予想されるエネルギー不足には天然資源の買い占めではなく、人的資源を大量に使用する省資源社会の実現で対応する必要がある。(トーマス・フリードマン著「グリーン化革命」は必読あれ!)
    ⑤カジノ合法化、パチンコ課税賛成!
    ⑥自転車取得税の新設
    駐輪場確保、リサイクル促進、放置自転車撤去の財源に。
    ⑦多様なコミュニティに属することで幸福度を高めるサードコミュニティ論を提唱する。

    猶、不正アクセスは監視されていますし、みっともないのでやめましょう。

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